生き生きとした生活を送るための5か条
★規則正しい生活をすること。 |
★バランスのとれた食生活をすること。 |
★適度な運動をすること。 |
★心から笑える時間をもつこと。 |
★生活の中に小さくても何か目標をもつこと。 |
なーんてエラそうに掲げちゃったけど、実は自分でもよく守れてなかったりして・・^^;
プラス思考のススメ 「プラス思考で現在と未来と過去を変える」
プラス思考をしていると、明るく前向きになれるといわれている。
プラス思考の反対はマイナス思考。
例えば、おいしいご飯を食べた時、プラス思考の人は「ああ、おいしかった。今日もこんなおいしいものを食べられて幸せだな」と思う。
マイナス思考の人は「うわー、おいしかったから、つい食べ過ぎちゃった。これじゃ太っちゃうよー。なんでこんなに食べちゃったんだろ。
ああ、食べなきゃよかった・・・。鬱々・・・」と思う。
こんなふうに考えてみても、やっぱりプラス思考をしていた方が楽しく暮らせるってことが理解できてしまう。
マイナス思考をしている人がプラス思考になると、その人の「今」と「これからの未来」が明るくなる。
プラス思考は「今」と「未来」を変える、と私はずっとそう思っていた。
ところが「プラス思考は過去まで変える」ってこと、ご存知でしたか?
「過去」はもう過ぎてしまったこと、今更変えられるわけない、そう思っていた。
ところが!
「快癒力」(かいゆりょく) 篠原佳年 |
この本を読んで、わたしは目からウロコが落ちた。
医学博士である著者が書かれた内容は大変興味深いものでしたが、私が特に衝撃的だったのは
第2章「だれでも過去は変えられる」。
**<引用>** 「私たちが過去と思っているものは、すべて私たち自身が「過去と思いたいこと」を過去と思っているのではないか。 その思いをもつのは現在の自分ですから、現在の自分の考え方や思いを変えれば、過去は変わってくることに気がついたのです。」 「たとえば過去に受験に失敗したとします。受験失敗は事実であっても、よかったか悪かったかは解釈の問題で、その人がどう色づけするかは自由です。 実際に私たちはこうして色づけしたものを過去と思っているのです。」 |
つまり、こういうことかなーと思った。
過去に受験に失敗したという事実がある。
Aさんはそのことを「ああ、あの失敗さえなければ、もっと人生が楽しかったのに」
と、とてもマイナスな出来事としてとらえている。
ところがBさんは「あの時はとってもショックで落ち込んだけれど、あの失敗をバネして頑張ったから今の成功がある。あの失敗は自分を人間的に成長させるのにいい経験になった」
と、むしろプラスの出来事としてとらえている。
過去の事実はひとつであっても、解釈の仕方でプラスの出来事にもマイナスの出来事にもなる。
過去の事実を解釈しているのは「現在の自分」だから、現在の自分がプラス思考になれば、過去にあった出来事だってプラスに変えていくことができる。
プラス思考は「現在」と「未来」だけではなく、「過去」までプラスに変えることができる。
恐るべし!「プラス思考」。
時間の力を信じてみる。「時間には大きな力がある」
「今まで生きてきて、『もう立ち直れない』っていうくらい傷ついて落ち込んだことがあったけど、時がたてばいつのまにかそれを忘れてるんだよね。だから辛いことがあっても、時間がたてばどうにかなるって思えるようになった」と、おっしゃっている方がいました。
「何をやっても上手くいかなくて、目の前に乗り越えられない壁が立ちはだかっている時、私はその壁にじっと寄りかかって、時間がたつのを待ちます。時間たつと、不意にその壁を乗り越えられるようになっていたりします」と、おっしゃっている方がいました。
実は私は・・・、小さな傷ならともかく、時間がたてばつらかったことを全て忘れられる、とは思っていません。
傷が深ければ深いほど、それは忘れられないのではないでしょうか?
でも、時間には「その傷を受け入れよう」とする力を与えてくれる作用があると思います。
つらいことがあった当時は、「とても受け入れがたい悲しい現実」であっても、時間がたつことによって、それを現実として受け入れられるような心の準備ができてくる。
そしてその時、悲しみは、その形を少し変えてくれているかもしれません。
もしくは、それを現実だと踏まえた上で、どうにか前向きに考えられるようにしていこうと思える力が沸いてくるかもしれません。
ついてないことの連続。
絶望してしまう。
これからもずっとこんなことの連続なら、つらいだけ。
生きていく気力もない。
・・・そんな時、「ついてないのは今だけだ。時期が悪いだけなんだ」と、ちょっと考えてみる。
本当に、その時はただついてない時期だったというだけかもしれないから。
時間がたてば、そのうち「なんであの時、あんなにやることなすことうまくいかなかったのかな」なんて、思える時がくるかも。
そんなつらい時期を乗り越えた人は、きっと乗り越える前よりも強くなっているはずです。
つらい経験を無駄にしないで、それからの人生をプラスに転じていく力にしていくことができたら、最高ですよね。
つらくてたまらない時でも、決して絶望しないで、前向きに考えていく姿勢を忘れないで・・・、もうダメだって思って全てを投げ出してしまう前に少しだけ・・・、時間の力を信じてみることを試してみるのはいかがでしょうか?
「カラーブリージング」(色の呼吸法)のススメ 「色と上手につきあおう」
色から与えられる影響は大きいってご存知の方も多いと思います。
どの色が気になるか?っていうので、その日の気分を占う心理テストなどもありますよね。
でも「カラーブリージング」っていうのは、この本を読んで初めて知りました。
「心が強くなるリラックス法」 小池能里子 三笠書房 |
第五章 「色の呼吸法(カラーブリージング)で心が変わる、自分が変わる!
私たちは温度、時間感覚、味覚などまで色に左右されているそうです。
たとえば、「赤い部屋」にいると暑く感じ、実際に皮膚の温度も高くなる。
「青い部屋」にいると涼しく感じる。
また暖色系の部屋にいると、時間がたつのが長く感じるが、寒色系の部屋にいると時間が短く感じられる。
**引用** 「”暖色系”の赤、オレンジ、黄や金色などは”心にアクセルをかける”役目、つまり行動力や勇気、自信、活力などの素になり、また”寒色系”のブルーやグリーンなどは”心にブレーキをかける”役目、つまり気分を静めたり、クールダウンさせてストレスを発散させる効果があることを発見したのです。」 「心とからだのリラックスには深呼吸がたいへん効果があるということは、これまでにも何度か述べてきましたが、そこにもうひとつの要素”色をイメージする”を加えてみてはいかがでしょう? ~~中略~~ また、色は吸い込むだけではなく、”色の霧”にからだが包まれているとイメージしたり、 「自信がなくなりそうになったとき、そして試験に出かける前には、エネルギーにあふれる太陽の”赤”をイメージして呼吸してもらったのです。 ”赤”を吸って自信と集中力をからだ中にみなぎらせ、不安を”灰色”に混ぜて吐き出してしまう、というのをくり返してもらいました。」 |
色をイメージしながら深呼吸をする、または色の光に自分が包まれているとイメージする・・。
これって、いつでもどこでも簡単にできるので、私もたまにやっています。
ぜひ試してみてください!
自分がどこにいるのかわからなくなってしまった時には・・・ 「ずっとずっと先を見る」
自分の人生を川の水の流れのように考えてみることがある。
順調に水が川を流れている時はいいんだけれど、たまに流れていく場所がなくなってしまう。
行き止まり。あっちに流れてみようとしたり、こっちに流れてみようとしたりするんだけど、どっちも行き止まり。
どうしたらいいの!?自分は今どこにいるの!?って、訳がわからなくなってしまう。
「今、自分がすべきこと」と「今、自分がしたいこと」に折り合いをつけながらやってきたはずなのに、なんでこんなことになっちゃったのか、いつのまにか進んでいく方向がわからなくなってる。
そんな時、すてきな言葉に出会った。
「HEART BOOK」 廣瀬裕子 PHP研究所 |
**引用** 「ときどき、どこに立っているのか、わからなくなる。 そんなときは、ずっと、ずっと、先を見る。 自分の行きたいところ、目指すところを見ていれば、すすんでいく方向はまちがわない。 時間はかかるかもしれないけど、たどりつく場所はまちがわない。 目の前にたくさん問題があると、自分の立っているところを見失いがち。 だから、そんなときは、ずっと、ずっと、先を見る。 むかう場所を確認するために。 自分のことを見失わないようにするために。」 |
私は想像力がないせいか、ずっとずっと先のことを上手くイメージすることができなくて、漠然とした「なんとなく」の先のことしかイメージできないのですが、それでも気持ちが楽になります。
「今」を見つめるのは大切なことだけれど、「今」しか見てないとたまに何も見えなくなってしまうことがあります。
そんな時は「これから先」のことを見るように(というか、なんとなくでもイメージするように)と思っています。
そうすると「今の自分」が少し客観的に見られるようになります。
それでも相手と上手くやらなくてはいけない時には・・ こんな考え方もあります。(参考)
人間関係って難しい。どうしても合わない相手もいる。
それでも、どうしても相手と上手くやらなくてはいけない場合。相手に自分の存在を認めてもらわなくてはならない場合。
そんな時、どうしたらいいのでしょうか?
ある年配の女性の方が話していたことがとても印象的で覚えています。
その方は夫の母親、つまりお姑さんと上手くいってなかったそうです。
もともと身分違いの結婚であったため、「嫁」とも認めてもらえなかった。
でもその方はどうしてもお姑さんに認めてもらいたくて、どうしたら上手くやっていけるのか、一生懸命考えたそうです。
そして相手を観察するうちに気付いたこと。
お姑さんは「とても食べることが好き」、
なのに「料理するのが苦手」、だということ。
「よし、これだ!」と思ったそうです。
その方はそれから、食べることが好きなのにお料理が苦手なお姑さんが好む料理を覚えて、お姑さんのためにつくってあげたそうです。
そしてその料理の腕が認められ、少しずつ、嫁としての存在を認めてもらえるようになったそうです。
この話を聞いた時、「すごい!」と感動しました。
「性格が合わないから、関わらない」ではなくて、どうしたら相手と上手くやっていけるのかを一生懸命考えて努力する。
この心構えからして、すごい。
<それでも相手と上手くやらなければいけない時には>・・・こんな考え方もあります。
少しは参考になるかもしれない。。。と思って、ご紹介いたしました。
でも、それでもどうしても上手くいかない場合もあります。ムリをするとノイローゼになってしまうかもしれません。
「さわらぬ神にたたりなし」という言葉もあります。
あまり思いつめないように、まず第一に自分の心の健康を大切にしてくださいね。
「自分の役割」って・・・ きっとあるはず。。
覚えている光景がある。
小学生低学年の頃、ふと気付いたら家の中に1人だった。(家族は買い物にでも出ていたのでしょう)
誰もいない家の中はやけに静かで、時計の音だけがコチコチと響いていた。
私は閉めてあるピアノのふたの上に腰掛けて、その静けさと時計の音の中に、ぽつんと一人ぼっちだった。
その時何故かふと、
「人間っていつかは絶対死んじゃうんだな」
って思った。
運がよかったら死ななくても済むとかじゃなくて、いつかは誰でもゼッタイゼッタイゼッタイ死んじゃうんだな、私もゼッタイいつかは、って思ったら、すっごく怖くなった。
死んだら。。誰が私のことを覚えていてくれるんだろう。
きっとすぐに忘れられてしまう。
寂しすぎる、そんなのイヤだ。
覚えていて欲しい、私という人間が、確かに生きていたということを。
でも、どうしたら覚えていてもらえるんだろう??
・・・そっか!
歴史に残るような、年表に名前がのるような人間になればいいんだ。
そしたら歴史の授業のたびに、みんなが私のことを覚えてくれる。
よし!年表に名前を残そう!
・・・なんて、突拍子もないこと、かんがえてたんでしょう。
今はこんなこと、かんがえてませんし、ずっと覚えていてもらいたいとも思ってないんですけど。
でも、時々「自分の役割」ということについて、考えてしまうことはあります。
(これも突拍子もない考え方かもしれませんが)
広い宇宙から見れば、人間1人1人なんて、ちっぽけなもの。
だけど、そのちっぽけな1人1人がちゃんと自分の役割を果たしているからこそ、大きな広い宇宙だって成り立っているのではないか?
例えば、人間の身体は小宇宙という。
私という人間が成り立っているのだって、それぞれがそれぞれの役割を(例えば心臓が心臓の役割を)きちんと果たしてくれているからこそ。
これが、それぞれが全然違うことをし始めたら、私という人間は成り立っていけずに壊れてしまう。
だから広い宇宙の中にいる私という1人の人間にだって、きっと私の役割、があるはず。
それは大きなことではなくて、ほんの些細なことかもしれないけれど。
でも落ち込んで鬱々していた時に思ったのは「こんなふうに鬱々過ごしていることが、私の役割ってことはないだろう!」
ってこと。
自分の役割について、こんなふうに書かれている方がいる。
「五体不満足」 完全版 乙武洋匡 講談社 |
**引用** 「どう生きていくのか」という問いは、そのまま「どのような人間になりたいのか」「何を最も大切にしていくのか」という問いにつながっていった。」 |
「ボクの答えは、比較的すんなりと出てきた。他人や社会のために、どれだけのことができるのか。まわりの人に、どれだけ優しく生きられるのか。どれだけ多くの人と分かり合えるのか。どれもむずかしいことではあるけれど、これが実践できれば、ボクの人生は幸せだったと胸を張れる気がする。ただ、どれを目指すにしても、絶対に譲れない大前提があった。それは、「自分を最も大切にしながら」というものだ。」
「障害を持った人間しか持っていないものというのが必ずあるはずだ。そして、ボクは、そのことを成し遂げていくために、このような身体に生まれたのではないかと考えるようになった。
次の瞬間、頭に浮かんだのは「何をやってるんだ、自分は」という思いだった。もし、そのような役目を担って生まれていたのであれば、ボクはとても、もったいない生き方をしていることになる。せっかく与えられてもらった障害を活かしきれていない。言ってみれば、「宝の持ちぐされ」なのだ。」
「他人を認める心の原点は、自分を大切にすることだ。ボクが、バリアフリーを目指す活動を始めるようになったのは、「ボクには、ボクにしかできないことがある」という想いからだった。しかし、それはボクだけに課せられたものではない。
誰にも、「その人にしかできないこと」があるはずなのだ。「自分の役割」に若いうちに気付く人もいれば、年を重ねていくうちに気付く人もいるだろう。なかには、死を迎える時になって、「ああ、自分の役割とは、あのことだったんだ」と気付く人もいるはずだ。ボクの場合、「障害」という分かりやすい目印だったために、自分の役割に気付いたのが、たまたま早かったのだろう。それに気付く時期は、人によってさまざまなのかもしれない。だが、必ず誰しもが「自分の役割」を持っているのだ。」
「「ああ、乙武クンって、やっぱり福祉の方面に進んだんだ」
この「やっぱり」が問題なのだと思う。障害者が進むべき道は、福祉の世界。そうした固定観念があるからこそ、「やっぱり」となってしまうのだ。それは、能力の限界を認めるようでイヤだった。障害者が、福祉とまったく関係のない分野で活躍をする。
そうしたことこそが、本当の意味での「バリアフリー」に繋がっていくのではないか。」
乙武さんは現在スポーツライターとして活躍されてますね。今後のご活躍を楽しみにしています。
ちなみに私はこの「五体不満足 完全版」のエピローグがとても好きです。
自分の役割・・・、暗中模索しながら、「自分を大切にしながら」、見つけていきたいと思っています。
「生きがい」って・・? 「生きがい探しの旅の途中・・」
「生きがい」とは、なんでしょうか?
これって、たぶん人それぞれ違うんじゃないか、と思います。
「仕事が生きがい」とか、「家庭が生きがい」、または「趣味が生きがい」・・・。
私の場合、「生きがいって、こういうことなのかー!」って、最初に教えられたのは、高校生の頃です。
「スウ姉さん」 エレナ・ポーター 村岡花子訳 角川文庫 |
これは、私が初めて感動の涙を流しながら読んだ本です。涙で活字がかすんで、困ってしまいました^^;
以下は、「あらすじ」です。
スウ姉さんは、父親と妹と弟と暮らしている。
母親がいない家で、スウ姉さんは母親代わりになり、家族の世話をしている。 スウ姉さんにはピアノの才能があり、家族や婚約者の反対を押し切り、ピアニストへの道を歩みだそうとする。が、そんな折、父親の事業が破綻、父親は倒れ、強度のストレスによって精神に異常をきたし、誰かが世話をしなくては 暮らしていけない子供のようになってしまう。 スウ姉さんはまだ学生である妹と弟、それに父親の面倒をみるため、ピアニストの夢を一時あきらめ、一家の大黒柱となる。 |
都会の家を引き払い、不便な田舎に住み、家事とピアノの教師をしながら、家族の生活を支えるスウ姉さん。
気がつくと、スウ姉さんが忙しくしている間に婚約者は妹にとられてしまっていた。
妹も弟も結婚し、父親が亡くなり、やっと自由の身になれたスウ姉さんは、再びピアニストになる夢を果たすべく、
恩師の元に向かう。
「ある女の子が大きくなったらなんになるって聞かれたら『自分になるんだ』って答えたというのをこの間読みましたがね、
あたしも『自分』になりたいんです」
そう言い残して。
恩師を訪ねたスウ姉さんは、そこで憧れの女性ピアニストに会う。
スウ姉さんが「生きがいのある生活をなさっていて、素晴らしいですね」と言うと、
ピアニストは、「自分の生活は生きがいのある生活とは言えない」と言う。
意外そうな顔をするスウ姉さんに、ピアニストは言葉を続ける。
「私は自分を必要としてくれる人たちの手を振り払い、自分の夢だけを追いつづけてきました。人々はヒマとお金があれば、私の演奏を聴きに来てくれる。そして賞賛してくれる。
でも、果たして私がいなくなったら生きていけない誰かがいるでしょうか?
いちばんの幸福は人に頼られ、人から求められることです。
自分を心から必要としてくれる、自分がいなくては生きていけない誰かがいる、、本当の生きがいとは誰かから必要とされることなのです」
スウ姉さんは、その言葉にハッとして、その部屋を飛び出していく。
スウ姉さんが向かった先には、スウ姉さんを本当に必要としてくれる男性・・・、たまたま帰郷した時に田舎でスウ姉さんと知り合ったバイオリニストの男性が待っていた・・・
私はこの小説を途中、憤慨しながら読んでいた。
なんて身勝手でわがままな妹と弟!なんて理解のない婚約者!そして、皆の犠牲になって、なんてかわいそうなスウ姉さん!
でも読み終えた時は、泣きながら思っていた。
「そうかー、スウ姉さんはかわいそうでも不幸でもなかったんだ・・。妹も弟も父親も、スウ姉さんがいなければ暮らしていけなかった。家族はスウ姉さんのおかげでしあわせだった。
スウ姉さんは必要とされていた。それは自分の夢を追いかけてピアニストになることよりも素晴らしいことだったのかもしれない。生きがいのある生活だったのかもしれない・・」
あまりにも感動して、頼まれもしないのに、感想文を書いた。
何かの時にその感想文を担任の教師に提出したら、添削されて返ってきた原稿用紙の「本当の生きがいとは誰かから必要とされること」という部分に赤線が引かれていた。
でもその後、しばらくして、自分自身について考えてみた時、「自分がいなければ生きていけない誰かがいる」っていうのはちょっと重いような気がした。
私は「なくても生きていけない、ってわけでもないけど、あるのとないのとでは大違いで、ある方がないよりもずっとよくて、実はとても大切なもの」っていうような存在に自分がなれればいいな、と思った。
例えば、人間の生活に「衣食住」は最低限必要なものかもしれないけれども、音楽や本や映画や絵画などはなければないで生きていけるかもしれない。
でも音楽を聴いて、心を癒されることもある、元気をもらうこともある、、、。
そういうことって、なくちゃ生きていけないとは言い切れないけど、とっても大切なことでしょう?
自分が、そんな存在になれれば、って思った。理想論かもしれませんが・・・^^;
その反面、人間不信に陥った時に「誰からも必要とされない自分なんて、なんの生きがいもない」と悲しくなった。
誰からも必要とされてないどころか、自分でも自分のことが大キライで、自分自身ですら、自分のことを必要としていない・・。
もう消えてなくなってしまいたい・・・。
そんな時、こんな言葉に出会った。
「不完全自殺マニュアル」 山本文緒 角川文庫 |
**引用** 「言いたくない、が気づいてほしいの裏返しなら、死んでしまいたい、は生きていたいということだろうか。」 |
もう消えてしまいたい、は、消えたくない、の裏返しで、もう誰も信じられない、は、本当は誰かのことを信じたい、の裏返し。
まさに、そうだと思った。暗闇の中に隠されていた、本当の気持ち。
ヘンかもしれないけど、「もう消えてしまいたい、、」なんて思っているうちは、大丈夫かな、と思った。
皆さんにとっての生きがいは、なんですか?
私は、自分にとっての生きがい探しの旅に出たものの、まだこたえは見つからず・・・。
世界で一番しあわせな人 「・・・って、誰?」
「世界で一番しあわせな人」は誰だと思いますか?
お金持ちで、才能があって、よい配偶者や家族や友人に恵まれ、健康で眉目秀麗(または容姿端麗)で、頭がよくって、肩書きもすごい人・・・?
じゃあ「世界一不幸な人」はその反対に、
貧乏でたいした才能もなく、1人ぼっちで、病気で、見た目もよくなく、頭も悪く、何の肩書きももってない人?
・・・そうでしょうか?
私は「しあわせ」っていうのはきわめて主観的なものだと思うんです。客観的なものではなく。
まわりの人から見ると、とても恵まれていて「しあわせそう」に見えても、本人が「自分は世界一不幸だ」と思っていたら、その人はきっと「世界一不幸な人」だと思うんです。
逆に、まわりの人から見ると、「恵まれてない可哀想な人」に見えても、本人が「自分は世界中で一番しあわせだ」と思っていたら、その人こそきっと「世界で一番しあわせな人」だと思います。
つまり「世界で一番しあわせな人」は「自分のことを世界で一番幸せだ、と思っている人」ということだと思うんです。
そういうことなら、世界一しあわせになりたいのなら、自分のことを「世界一の幸せ者」と思ってしまえばいいってこと。
でも簡単そうだけど、これってもしかしてちょっと難しいことかもしれない。
「こんな何の取り得もない自分がしあわせだとは思えない」とか、
「今日、イヤなことがあって、とてもしあわせだとは思える気分じゃない」とか。
そういう時には、「一瞬」でもいいから、しあわせを感じる時間をもってみるのはいかがでしょうか?
例えば、「転んじゃったけど、怪我しなくてよかった。ちょっとついてるかも。しあわせ(^^)」とか、
「大切にしているものをなくしちゃったんだけど、探してたら見つかって、あー、よかったあ。しあわせ(^^)」とか
「お風呂に入って、のんびりリラックス。あー、ゴクラクゴクラク、しあわせーー(^o^)」とか。
そのしあわせ感を思いっきり満喫して、短いひとときでも「世界一の幸せ者」になってしまう。
これって結構気分がいいことかもしれません。
また、こんな文章がありました。
「満月-キッチン2」 吉本ばなな 福武書店 |
**引用** 幸福とは、自分が実はひとりだということを、なるべく感じなくていい人生だ。 |
「ムーンライト・シャドウ」 吉本ばなな 福武書店 |
**引用** 「かぜはね。」うららは少しまつ毛を伏せて淡々と言った。「今がいちばんつらいんだよ。死ぬよりつらいかもね。 でも、これ以上のつらさは多分ないんだよ。その人の限界は変わらないからよ。またくりかえしかぜひいて、今と同じことが おそってくることはあるかもしんないけど、本人さえしっかりしてれば生涯ね、ない。そういう、しくみだから。そう思うと、 こういうのがまたあるのかっていやんなっちゃうって見方もあるけど、こんなもんかっていうのもあってつらくなくなんない?」 そして、笑って私をみた。 私は黙って目を丸くした。この人は本当にかぜについてだけ言ってるんだろうか。何を言ってるんだろうか。」 |
「体は全部知っている」 吉本ばなな著(文春文庫) |
**引用** 生きていることには本当に意味がたくさんあって、星の数ほど、もうおぼえきれないほどの美しいシーンが私の魂を埋めつくしているのだが、生きていることに意味をもたせようとするなんて、そんな貧しくてみにくいことは、もう一生よそう、と思った。 |
「ひとり」を感じて、どっぷり「寂しいモード」に入ってしまうこともある。
落ち込んで、メチャクチャつらい、って思ってしまうこともある。
でも、そんなことをくり返しながら、その合間にでも、少しでも、一瞬でも、「しあわせを感じられる時間」をもてるといいですね。
きっと「しあわせのタネ」は身の回りにたくさんあるはず、と信じて、例え一瞬でも「世界一の幸せ者」になってしまいましょう。